世界最高峰、エベレストのふもとに広がる国、秘境NEPALへとご案内いたします。

西の秘境湖・ララ

西の秘境湖・ララ
とっておきの写真の整理が遅れ、2010.12.16に公開しました。

2014年3月7日更新です

政府官僚宅に3日ほど滞在した
ビラトナガール在住のuchida嬢を通し、ビラトナガール県知事から紹介されたララ湖近くの政府官僚のお宅に宿泊した。お世話になったご家族と職員の皆さん、それに25才のわたしがいる。
わたしは今65才になった

ララ湖のある周辺には適切な宿泊施設がなかった。
ネパールの知人の紹介で政府官僚のお宅にお世話になった。わたしたち、二人の日本人女性をとても歓迎してくれた。
わたしのすぐ後に官僚と奥さん。奥さんの隣は若いメイドさん。
官僚の隣に並ぶのは官僚宅で働く人たち。奥さんが両手を肩に添えているのは一人息子。
幼かった彼(当時4才)も現在、45才を超したはず。今どんな暮らしをしているのだろう?やっぱり政府の官僚かな。会ってみたい。

西の秘境湖・ララがみたい  トレッキング報告その3

1975年10月29日(第1日目) JUMULA到着

カトマンズから小型セスナ機でJUMULA飛行場まで飛ぶ。
風の吹きすさぶJUMULA AIR PORTに降り立った。
飛行場は小さい。
日本の感覚だと、例えば小さな村役場ほどの規模。
建物があって飛行機の離着陸する滑走路がある。
仕事を求めて近くの村人が数百人ほどが集まっていた。

このトレッキングは女性二人で10日間ほどの日程で出かけた。
相棒はわたしと同じ青年海外協力隊員だ。
ビラトナガールHOSPITAL勤務の看護婦隊員MISS UCHIDA。
彼女はインド国境近くの町ビラトナガールに住んでいる。
小柄で活発、元気で気さく、それでいてとてもやさしい日本人女性だ。
わたしはネパールの首都カトマンズのセントラル・チェストクリニック(結核専門の病院)に勤務。保健師としてネパールの結核予防活動に参加、二年間の派遣だ。
お互い遠くに住んでいるため、ふだんの交流は少ない。
青年海外協力隊の定例会議での雑談から、カトマンズの我が家へでの食事会などでララ湖への旅の計画ができあがった。
カトマンズの我が家の居間の壁には大きなネパールの地図が貼ってあった。
そのネパールの地図の西の端近くに何か気になる湖があった。
日本人はおそらくよほどでないと出かけることは無いだろうと思われた。秘境ネパールのその又秘境といえそうな場所だ。地図上ではきわだった特徴が何もない。ただの山奥らしき所にしっかりとした大きさで湖の形が楕円形で無造作に書かれているのだ。ネパールの西側の風景に触れ、ネパールの人々の暮らしぶりや様子もみたい。ララ湖に出会うための旅に二人で出かけることにした。

県の官僚宅に宿泊

UCHIDA嬢の知人(ビラトナガール在住のネパール人)の紹介でララ湖近くに在住の政府官僚(アンチャラディッシュ)のお宅に宿泊させて頂いた。この家には昼夜護衛の兵士がいて24時間、見張り番をする。護衛つきの館だ。
食事は家族全員一緒ではない。官僚は一人だけ最初に食べる。
そのあとで奥様と息子という順番らしい。
私たちは“特別サービスよ”
と静かな離れのような場所に案内された。
4才の息子がわたしたちの様子を見に来る。
はずかしそうにしながら食事の間中そばにいる。
私たち二人の食事はネパールの食事。
ヨーグルトやフルーツも添えられた。
ゆっくりとおいしく食べさせてくれた。
JUMULAに到着した翌日、あわただしかった出発準備や風の吹く天候のせいもあってか、UCHIDA嬢が38度までの発熱。休憩をとり、体調を整え、計画を練り直す。
このあたりで何か見るところがあるか訪ねた。
近くに温泉があるという。日本人の感覚で温泉まで気軽にと歩いて出かけることにした。官僚が護衛の兵士をつけてくれた。

ネパールの温泉をたずねる

しかし、この温泉、実は1日がかりの日程となった。歩く時間がアバウトで、のんびりゆっくり歩いたせいか、なかなか到着しないのだ。
着いた温泉は、川沿いの自然に温泉がわき出る場所。建物は小さな小屋風のものがあるだけ。
それでもネパール滞在2年になる私たち、ここはネパールだからと、がっかりはしないし、あせることもない。
持参の食べ物で軽い昼食を済ませる。
やがて、この近くに住む人たちが集まってきた。
外国からきた私たちがものめずらしい様子。
温泉には入らず、手や足を浸し、少し休憩して帰路についた。

UCHIDA嬢とは往路・復路ともゆっくりとビラトナガールでの仕事や生活の様子、カトマンズでの仕事や生活の様子など、互いの情報交換で話がつきることがなかった。
帰り道も川沿いの道をのんびりと歩き、官僚宅が見えた頃は夕方で宵の明星が輝き始めていた。
幸いなことにutida嬢も熱が下がり思いの外元気。
心地よい疲れだった。

ララ湖探索に出発

鶏騒動でポーターを待つわたし、子供たちとのネパール語がここではカトマンズほどは通じない
同行のポーター二人と休憩する、撮影したUCHIDA嬢が写っていないのが残念

右の写真:ポーター二人と休憩中のわたし。休んでいるとどこからともなく子供が集まってくる。撮影してくれたUCHIDA嬢が写っていないのが残念。
翌日トレッキングに備えポーター(荷かつぎ)2人を雇う。
1日一人20ルピー(約560円)。
今回もシェルパ(ガイド)なしで手持ちの地図を確認しながら歩く。

今回のトレッキングでは思わぬハプニングがあった。

ハプニング1

まず、トレッキング初日のポーターとの軽いトラブル。
昼食後、ポーターがなかなか出発しようとしない。
自分たちの荷物(一人約30キロ)を預けているので先に出発という訳にはいかないのだ。
日本からの若い女性の二人旅に同行するポーター。
時間になっても予定どおりに出発できないでいた。
声をかけても動こうとしない。
彼らの気持ちを聞いてみる。
なにやら訳のわからない理屈をいう。
私たちをどうもリーダーとして認めにくいようだ。
最初から彼らの話を良くきこうとした。
はじめは彼らのいっていることの訳がわからなかった。
家族がどうの、親戚がどうの、ズック靴がどうの・・・
聞いている内に、だんだん気づいた。
どこまででかけるのか、そしてきょうの目的地はどこまでなのか。
彼らに納得できるような説明ができていなかった。
彼らはポーターであって、シェルパではない。
そのことがルートや日程などの説不足になってしまっていた。
彼らの不安に気付かされた。

トレッキング初日に撮影した写真1

トレッキング初日に撮影した写真2  

だいぶ遅くなってしまったが、ようやく出発。
歩く途中もこのあたりは危険が多い。
虎が出るとも聞いた。
出発が遅れた分、暗くなっても安全な場所までは私たちは歩くからと繰り返し話しかけた。話しかけることでだんだん彼らが私たちを受け入れてくれのがよくわかった。

JUMLAから山ひとつ越えて小さな部落にたどり着いたのは日もとっぷり暮れてから。
民家で薪を買い大きな岩の陰にテントを貼った。お茶とインスタントみそ汁、パンと干し肉などで簡単に食事を取りテントの中で寝た。
以下、道中の様子を写真で紹介する。

ハプニング2

ララ湖をバックに草原を独り占め。遠くのヒマラヤの峰がなつかしい

林の中を歩く、また歩く  このような風景をいくつか越えて
にわとり騒動
このあたりは写真でみるように、山と木と草原と青い空の下だ。
食料を調達できるような場所は少ない。
歩きながら、食べ物の話をした。
新鮮なお肉がたべたいな。でもここじゃ無理だよね。
ろころが、ポーターに聞くとこの先で鶏が買えるという。
トレッキングの道中に小さな数件の家があった。ポーターが鳥をさばいて調理してくれるというので生きた鶏を二羽買った。
ポーターが鶏を一羽ずつ背負いかごに荷物と一緒に担ぐ。
朝9時頃鶏を買って、二時間近く山を登った。
休憩中に一羽の鶏が逃げた。
逃げ足の早いこと。ポーターがあわてて鶏を追う。
あせることはない。
ここはネパールだ。
残ったポーターが、大丈夫、逃げる先は決まっているからという。
しばらく時間がかかたが、やがてポーターが鶏を担いで戻ってきた。
鶏は自分の村まで帰っていたのだという。
荷を置き、鶏だけ担いだ身軽なポーターの足は速い。
この鶏はララ湖の湖畔に到着してからの夕餉のごちそうになった。
ポーターがしっかりと味付けをし、みんなで頂いた。
本当の野生で育った肉。
引きしまってとてもおいしかった。
40年以上たっても忘れられない。

ララ湖到着

草原の向こうにいきなり、ぽっかりみえたララ湖。湖の青が美しい   ララ湖の湖畔に建物がぽつんとあった。学校かも  夕方の穏やかなララ湖  ララ湖を背景に止まり木に止まったわたし
鶏騒動のあともトレッキングは続く。
歩いては休んで食事、テントで寝るの繰り返し。
周囲の景色も草原と林と青い空。
高いヒマラヤ山脈の連なりがずうっと見えるわけでもないのだ。
何となく高度は稼いでいるものの、いつララ湖に到着するのかと不安になる。
ララ湖はいったい存在するのだろうか。
あといくつ草原をこえるのだろう。
そう思いながら登って行くと突然目の前に真っ青なララ湖が見えた。
湖畔にテントを貼り、ゆっくりとキャンプ。
ポーターが約束通り、鶏を調理してくれた。
新鮮な肉料理は久しぶり。舌つづみを打つ。

ひとりふたりと集まってきた子供たちと。

食事が終わってのんびりの時間だ。
道中で買った地元産のリンゴの味見をしながらんびりする。
どこからともなく子供たちが集まってきた。
一緒に写真に収まる。

ポーターはカメラをいじったことがない。UCHIDA嬢かわたしのどちらかが写真を撮った。二人一緒の写真は見あたらない。当時、カトマンズでもカラー写真の現像はきれいにできなかった。日本に送って現像し、お互いの写真を交換した。そのため、uchida嬢の写真はのせることができない。

帰路、ポーターともうち解けることができた。
家族や親戚の話も少し伝わってきた。
トレッキングに同行のお礼になにがいいときくとズック靴がほしいという。
ふだん、裸足が多いが、今回のように長く歩くと足が痛むのだ。
ズック靴代をチップとして渡した。
大変喜んで、気持ちよくポーターは解散した。
画像の説明
“西の秘境ララ湖が見たい”の思いを達し、官僚宅にもどった。
官僚の奥さんから大きなりんごをひとつ頂いた。ネパールではとてもめずらしい、日本で栽培しているような大きなりんごでネパールでは入手困難なはず、とても貴重品だ。

ネパールではみかんもりんごもよく手にはいる。値段は安くて味はおいしい。原種に近いのか、みかんもりんごも小ぶりで野生的。酸味も甘みもしっかりしている。このページ、すぐ上の子供たちと一緒に撮影した写真のわたしが食べているのが現地産のりんごだ。
他の果物もそうだが、日本のフルーツのように、見た目がきれいで磨かれたような果物にはお目にかかることはなかった。この時、頂いたような大きなりんごは首都カトマンズでも見たことがなかった。カトマンズでは最近、大型のスーパーマーケットが外国資本でできているからたぶん輸入くだものが陳列され、今は手にはいるかもしれない。で、たぶん、カトマンズ滞在中の外国人のお腹に収まっているかもしれない。

頂いた1個のりんごはネパールでは本当に貴重品だった。官僚の私たちが無事に帰ったことへのおめでとう、の気持ちが伝わり、感激した。
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